“ヨシローのスペイン語は完璧”と宣伝されていただけに、先程までの気楽さは吹っ飛んでしまった。アグスティン・ララのこの名作が、私スペイン語で初めて歌うスペイン語曲なのである。胸がムカつくほどに緊張してしまい、本番に入ると、もう立ってはいられず、曲の途中にすわりこんでしまった。見かねたレニーが

「うまく歌えてるよ」

と、やさしく声をかけてくれる。スタッフの励ましで、再びビデオ・フィルムがまわり出す。

なぜ前代未聞か、と言うなれば、スペインの都をたたえるこの曲を歌うのに、私は着物をつけている。前半はごく一般的な「グラナダ」のフォーム、それがロックのリズムに一転したところから、手にした傘をやおら歌舞伎の大見得よろしく開き、更に扇子を指にはさんでクルクルまわすのである。そして間奏はゲタでタップダンス。喜ぶスタッフの声援に、私もついつい浮かれ、意中にあった振り付けも忘れて思うがまま一気に歌い踊った。

歌はともかく、ベネスエラ初めての東洋からのゲストの奇想天外なショウは、五月二日放映以後あらゆる意味で評判になった。その代表がアバニーコ(扇子)である。ごくあたりまえの舞扇だ。

世界中めぐり歩いたわけではないから一慨には言えないけれど、外国でのアバニーコは本来婦人の装身具である。スペインのフラメンコだって、メヒコのベラクルスの踊りだって同じこと、男性が扇子を持つ例などない。だから、扇子を持つ男はマリコン(オカマ)だ、と言うことになるたちまち“ヨシローはオカマだ”との噂が出たのにはびっくりした。カラカスの「ウルティマ・ノティシア」紙五月十四日号の三二ページ(この新聞タブロイド版である)は

「日本人のアバニーコは、男性も使用する」

のタイトルのもと、一ページ全部をさいてくれたものである。これはルイス・ロドリゲスという記者のインタビュー記事なのだが、その一節を記してみると、

R. アバニーコの評判は良くない、知ってますか?

私. らしいですね。でも私にはワケが分からないのですが。

R. アバニーコは女性だけが用いるものみんなそう考えているんです。

私. とんでもない。日本では男性も使うんです。男性にとってもアバニーコは装身具なんですよ。

扇子がこんなになるとは、思っていなかった。※もっともラテンアメリカではカトリック信者が多く保守的な考えの人も多い、その裏の心理は逆説的でスキャンダラスなものや、文化に憧れを持っている事に私も気ずいてはいた。

カラカスでの人気にくらべ、その後の私は何度も厚い壁にぶつかった。同様にその後のラテン歌手の目まぐるしい移り変わりを考えると、ちょうどラテン音楽の過渡期にあたるこのころ、ベネズエラに来た意義は深い。ちょうど、ボレロやオーソドックスなトロピカルものの全盛から、ロックやゴーゴーなどのムシカ・モデルナ、日本ではラテン・ポップスと呼ばれているバラーダに移り変わる時代で、最速若手でボレロを歌う歌手は時代遅れとまで言い切る人もいたし、女性ボレリスタのベテラン、オルガン・ギジョーでさえスタイルを変えつつあった。そんな中で、現地の音楽事情の予備知識のない若手の私が、てらいもなくオーソドックスなボレロを歌うので、むしろ好感をもたれた。

このような時勢、毎日地元ベネズエラからもあらゆるタイプの歌手がテレビに出演する。もう少しスタジオの様子をつづってみたい。

私の画面上でのデビューの翌日、五月三日(月)は昼の放映である。ここで他のゲストのハプニングその二がおきた。ブルーノ・フィリピーニが、本番中だと言うのに伴奏のテンポが遅すぎるとどなったため、楽団員は彼の伴奏をボイコットしてしまった。とうとう彼は最終日まで、あまり巧くない自身のピアノの弾き語りでお茶をにごしたのだが、もともとオーケストラ用にアレンジされた曲が、これで盛り上がるはずもない。

ホストのレニー・オトリーナは、単に司会者として優れているだけではなく、機を見るに才たけ、リタ・パボーネとブルーノ・フィリピーニのトラブルで、一時は視聴率も危ぶまれた時、すぐ私を中心に立て、ボレロをオーソドックスにわざと歌わせ、また、リタのヒット・ソングをイタリア語で、アメリカのポピュラーやラテン・ポップスでは思いきりモダンな衣裳を私に要求した。この番組のゲストは毎回二曲だが、前記二人の歌手のトラブルで私は4曲歌うことになった。

スターとは、プロとは何であるかを、教えてくれたのも彼であった。例の扇子の一件で、ある日の新聞に「珍奇なグラナダを歌ヨシロー」という見出しで「歌がへたとは言わない。着物が悪いとも言わない。けれど扇子は女性的すぎるし、歌と関係ないこと・・・」

と書かれ、今後着物や扇子は一切使いたくないとレニーに言うと、

「新聞でこれだけ話題になるのは、いいことじゃないか。ヨシローは誰もやらなかったことをやっているんだし、まず視聴者はそれを期待しているんだから。ヒット曲のない君に必要なのは、話題だよ。着物の時は必ず扇子を使い、もっと新しい感じで喜ばせてやってくれ」

と、こともなげに言った。その上、翌日の番組では「日本の『文化も知らない三流新聞』と、当の新聞社の名をあげ、日本では男も扇子を使う習慣があることを長々としゃべったものである。

ベネズエラの新聞記者のボス的存在、日本びいきで、サルセードの親友でもあるベネ氏は、待ってましたとばかり私にひっかけて日本文化についても一ページもさく。その後も彼は

毎日のように私の記事を書きまくり、レニーとサルセードもマスコミで口を開けばオウムのごとく私のことをしゃべる、一方、例の新聞も反撃、そのほこ先が私からレニーへとうつった。

レニーは番組のコントにも私を起用しスペイン語の歌とは対照的に会話の方は殆ど出来ない私が失敗する面白さもとり入れた。

日本のテレビ・スタジオの規模と、テレビ技術は世界に誇るべきものであるがナマ番組の面白さでは、ラテンアメリカのそれにはるかに遅れをとる。ここ数年日本でもナマ番組中でのハプニングを期待して、あの手この手を使っているが、どれも演出が目立つ。リラックス・ムード作りのため、主婦たちをスタジオに迎えたりの番組もあるが、国民性の違いもあり、ますますカタさが表に出てつまらない。

真似好きの日本のテレビ界だが、そこで一度もやっていない面白い経験をカラカスでした。これぞハプニングの真髄だろう。

いつも昼の放送はナマなのだが、ある時一回だけ前日ビデオにとったことがあった。ハプニングはそこでおこった。

ちょうど私が「ぺルフィディア」歌っていた時だが、思わず歌詞を間違えたので、オーケストラにストップのサインを出す。レニーがニヤニヤしながら、

「ケ・テ・パーサ?(どうしたの)」

「歌詞を間違えたので、もう一度お願いします」

「それほど気にならなかったのに・・・・・・それに、もう少しで番組が終わるし、時間がないよ」

「だって、こんなみっともない歌を放送されちゃ恥ずかしいもの」

「恥ずかしいって言ったって、もう視聴者は見ているんだよ」

「ふざけないで下さい。今はビデオ録画なんだから、もう一度とり直してくれてもいいじゃないですか!」

と、私の声も少し荒くなる。こういう難しい話になると、スペイン語がまだへただったので、少しはましな英語だ。

「なに、ビデオだって?冗談は止したまえ。今、君がどなってるのも、もう全部テレビに流れているんだよ、これはナマ番組なんだから。誰だい、ヨシローにウソを教えたのは!」

と、こちらはスペイン語、スタジオの人々にも視聴者にもハッキリ分かるようにレニー。彼の意図がつかめない私は、ますます怒りたける。

「よし、マエストロ、もう一度間奏から演奏してあげて下さい」

と、レニーは笑いをこらえた声、そこで音楽が流れ出したが、私は歌いもせず更に声を荒げて

「始めからやって!」

とオーケストラにどなる。カメラマンが

「ヨシロー、そんなみっともない顔をしちゃお客さんに笑われるぜ」

「うるさい、黙れ!」

と私はカメラマンをにらみつける。実は、やはりビデオ録画だった。しかし最後までナマ放送のように見せかけたレニーの頭の良さ、録画が終わって彼は、

「ごめんよ、ヨシロー。ちょうど時間がオーバーしたので、今の「ベルフィディア」の場面だ、明日はカットするよ。ただ君をからかっただけさ」

ところが、翌日この大モメの場面は、すっかりテレビに流されたのである。番組の最後にレニーの

「この番組でヨシローが口にした、わが国では下品とされることばは、意味は同じようなものですが、すべて日本語ですから悪しからず」と言うシャレが入った。